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2005年がおわる

あっという間に2005年が駆け抜けていった
ずっと私はここにいて いる場所は変わらなくとも
今年の初めの私の心持ちと 年末の心持ちを比べると
ずいぶんと違ったものになっている

おそらく私よりもずっと元気で
私はずっとこの人に老後の面倒を見てもらおうと
そう思っていたつれあいが なんと心臓を患ってしまった
検査が何回も続いて 結局ステント治療をすることになり 入院も二回した
はじめのうちは 通院や入院の手伝いで何をどう考えていいのかわからなかったけれど
すこし落ち着いていろいろなことを俯瞰するように考えていくと
今まで 自分が空気を吸うのと同じくらい当たり前の感覚で
私が死ぬまでこの人はずっと隣にいるんだろうと思っていたことに気づいた
そして いか有形無形でこの人に私は頼っていたかがよくわかった
入院先の病院から一人家に帰る時 家には今この人がいないと実感した
不思議とさみしかったり怖かったり不安だったり そういう感覚はなかった
ただ 自分はひとりだったんだと そんなあたりまえのことを改めて実感したのだった
心臓に金具の入った連れ合いは なかなか運動などが思ったようにはできなくて
はたから見ていて すこし切ない感じもするが
自分の与えられたものの範囲の中でしか人は生きられないし
そういったものに卑下したり逆らったりすることなく あるがままに暮らしていければ
それがなによりもいいことなのではないかと思いいたるのである
仲が悪くなったわけじゃない でもすこしこの人との距離を意識することは大事なことだ

子供たちもこの一年でずいぶんと成長した
いや おそらく私の子供たちに向ける心持ちが変わったので
成長したことがよく見えるのかもしれない
今年の初めに 私は自分の子供たちとのかかわり方のスタンスを一つ変えた
簡単に言ってしまえば 客観視すること
それは 他人行儀とかいうことでなくて 自分と切り離して考えるということだ
私の生まれ育った環境の人間関係は どうも親子が独特の濃いつながりを持っている
多くの親戚の「親子」の密度がとても濃いように感じるのだ
私も意識しないでいると自分特有の心配性と 子供への愛情や思いやりがいっしょこたになって
子供のことがすべて自分のことのように感じられて 不安や心配が増大し
それが子供にとっては 高い壁やわずらわしさになってしまっていた
子供のことをむやみに心配しないこと 心配してしまってもそれを子供に見せないこと
じっと静かに観察をするみたいに 子供たちを見守ることで
少しずつ子供たちとの距離がいい感じに保てているようになった
今年の初め 大波のように私を襲った不安 それを転機に私はすこし変われたかも知れない 

夫婦のあり方 親子のあり方 そんなものの少しの変化とともに
私自身の生き方もすこし 変化があったかもしれない
なんといっても ヘルパーの資格を取って働き出したこと
これは 本当に自分でもびっくりするような成り行きだった

子供が小さいときには 「家族」の形がはっきりしていた
互いの役割分担 休日の過ごし方 毎日の時間の流れ・・・・
しかし それぞれがそれぞれの形で社会とつながりを持ち始めたら
家族はあるときには わずらわしいもののように感じられるときもある
いい意味で家族が頼りあわずにいられる関係
互いに外を向いていたとしても 戻れる場所が一緒であるという共有感
そんなものに互いがよりどころを持っていられれば
いざというときには互いに助け合えるという気持ちがあればそれでいいのだと思う

何かで読んだことがある
子供が小さいときから飼っていたペットは 家族という形の象徴なのだと・・
いつもあること 戻るべき場所があること そしてそこで安らげること
ペットたちは 本当にそういうものを私たちに与えてくれる
そしてそれが家族というものなのかもしれない
彼らを通して 私たちは家族であることを思い出せるのかもしれない





めずらしく 若者三人が家にいる
楽しそうにケーキを焼いている


今年がほんとうにあと少しで終わる

by runjiro | 2005-12-31 15:53 | 日々思うこと  

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